
木曜日の夜、台所に立つのがすこし好きだ。翌朝の支度のためにフライパンを出して、冷蔵庫をのぞいて、残り物を眺めながら「これとこれで何ができるか」を考える時間。たいした料理ではない。でもこの時間だけは、なんとなく自分のペースで息ができる気がする。
明日は金曜日。そして明日は休みだ、という言葉が頭の中でふわりと浮かぶ。会社の週末前の、あの独特の空気感。午後になるとなんとなくみんな少しだけ軽くなって、デスクの端に置いたお弁当箱を開けるときの顔も、月曜日とはちがう。だからこそ、金曜日のおべんとうは、少しだけ好きなものを詰めたい。
冷蔵庫には鶏もも肉が一枚。ブロッコリーと卵。あとは昨夜の残りのきんぴらごぼう。これで十分だと思う。メインは「はちみつ照り焼きチキン」にしよう。醤油大さじ2、みりん大さじ1、はちみつ小さじ2を合わせたタレに、一口大に切った鶏もも肉を絡めてフライパンで焼くだけ。皮目からじっくり中火で焼いて、タレを加えたら蓋をして2分。最後に蓋を取って強火でさっと照りを出す。これだけで、ご飯が進む一品になる。
ブロッコリーは小房に分けてレンジで2分。卵焼きは甘め派なので砂糖を少しだけ多めに入れる。子どものころ、母が作ってくれたお弁当の卵焼きはいつも端っこが少し焦げていて、それがなぜかいちばんおいしかった。自分で作るとなぜかきれいに焼けてしまって、あの焦げた味が再現できない。意図してできないことって、あるものだ。
詰め方にも少しこだわる。ご飯を詰めたら、チキンを斜めに立てかけるように置く。隙間にブロッコリー、卵焼き、きんぴら。彩りを意識しながら、でも完璧にしようとしすぎない。お弁当箱は「ルーシェボックス」という名の竹製のもので、蓋を閉めると木の香りがかすかにする。それがまた、朝の台所の空気に馴染んで、妙に落ち着いた気持ちになれる。
翌朝、会社に着いてデスクに鞄を置く。窓の外、5月の光がオフィスの床に長く伸びていた。午前中の会議をひとつこなして、昼になる。お弁当箱の蓋を開けた瞬間、はちみつの甘い香りがふわっと広がる。隣の席の同僚がちらりとこちらを見て、「いいにおいですね」と言った。照れくさくて「昨日の残り物です」と答えたけれど、実際はちゃんと作ったやつだ。これが精一杯の謙遜というやつである。
金曜日のお昼は、なんとなくゆっくり食べられる。明日は休みだという安心感が、ひと口ひと口をすこしだけ丁寧にさせてくれる。チキンの照りがご飯に染みて、きんぴらのごまの香ばしさが鼻をくすぐる。卵焼きはやっぱりきれいに焼けすぎていて、あの焦げた端っこには程遠い。それでも、おいしい。
お弁当を作ることは、自分を少しだけ大切にすることだと思っている。会社に持っていくものだから、誰かに見せるわけでもない。でも、木曜の夜に台所に立って、金曜の朝に蓋を閉めて、昼に開けるまでの時間の流れに、ちいさな楽しみが宿っている。
明日は休みだ。だから今日のおべんとうは、すこしだけ丁寧に作ってみてほしい。それだけで、金曜日の午後がほんの少し、やわらかくなる気がするから。
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