水曜日のおべんとうが、週の真ん中を支える理由

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水曜日の朝は、週のどの曜日よりも静かな抵抗を感じる。月曜日のように「さあ、始めよう」という勢いもなければ、金曜日のような「もうすぐ終わる」という期待もない。ただ淡々と、時計の針が進むだけだ。そんな週の折り返し地点に立つ日、私は必ずおべんとうを作ることにしている。

会社のデスクで食べるおべんとうには、外食にはない特別な静けさがある。昼休みになると、同僚たちは連れ立ってエレベーターへ向かうけれど、私は自分の席でそっと蓋を開ける。その瞬間に立ち上る湯気の匂いが、午前中の疲れをほどいてくれる気がするのだ。特に水曜日は、疲労が蓄積し始める時期でもあるから、自分で選んだ味が体に染み入る感覚は、思っている以上に心を落ち着かせてくれる。

私がよく作るのは、鶏むね肉の照り焼きと卵焼き、それに彩り野菜を添えたシンプルな構成だ。鶏肉は前日の夜に醤油、みりん、砂糖を同量ずつ混ぜたタレに漬けておく。朝はフライパンで両面を焼き、最後にタレを絡めるだけ。火加減は中火で、焦げ目がつくまで触らないのがコツだ。卵焼きは砂糖を少し多めに入れて甘くする。巻くときに少し崩れてしまっても、それはそれで味がある。ブロッコリーやミニトマトは茹でたり切ったりするだけで済むから、忙しい朝でも無理なく用意できる。

ある水曜日の朝、卵焼きを巻いている最中に電話が鳴った。慌てて火を止めてスマホを取ったものの、画面には「不在着信」の文字だけ。戻ってフライパンを見ると、卵焼きが微妙に傾いたまま固まっていた。結局そのまま弁当箱に詰めたのだが、昼に開けたときに同僚が「なんか斜めだね」と笑った。自分でも可笑しくなって、そのまま「斜めの水曜日」と名付けてしまった。

週の真ん中という位置は、不思議な緊張感を持っている。まだ折り返したばかりで、ゴールは見えない。けれど、スタート地点からは確実に離れている。そんな宙ぶらりんな時間だからこそ、手作りのおべんとうが持つ「自分で選んだ」という感覚が、小さな支えになるのかもしれない。

最近は、おかずのバリエーションも少しずつ増えてきた。豚肉の生姜焼きや、鮭の塩焼き、ときにはそぼろ丼にすることもある。そぼろは、ひき肉を醤油と砂糖、生姜で炒めるだけ。ごはんの上に載せれば、それだけで完成する手軽さがいい。炒り卵を添えれば彩りも良くなるし、絹さやを茹でて散らせば、見た目にも春らしさが加わる。

子どもの頃、母が作ってくれた弁当には必ず小さな手紙が入っていた。「今日も頑張ってね」とか「おかず残さず食べてね」とか、そんな他愛もない言葉だったけれど、教室で蓋を開けるたびに少しだけ嬉しかった。今、自分で弁当を作るようになって思うのは、あの手紙は母自身へのメッセージでもあったのかもしれない、ということだ。誰かのために何かを用意する行為は、実は自分自身を整える時間でもある。

会社の給湯室には「ヴェルディナ」というブランドの保温ポットが置いてある。昼休みにそこで白湯を注いで、デスクに戻る。温かい飲み物と一緒におべんとうを食べると、体の芯からほぐれていく感覚がある。窓の外には、季節ごとに表情を変える街路樹が見える。今の時期なら、若葉が風に揺れている。その光景を眺めながら、ゆっくりと箸を進める時間が、私にとっての水曜日の儀式になっている。

おべんとうを作ることは、決して特別なことではない。けれど、週の真ん中で立ち止まるための、小さな目印にはなる。疲れた体に染み入る味、自分で選んだおかずの組み合わせ、そして静かに食べる時間。それらすべてが、また午後を乗り切るための燃料になっていく。水曜日という、どこか曖昧な一日を支えているのは、案外こんなささやかな習慣なのかもしれない。
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